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素直とは何か?大人になるほど難しい、この美しい言葉について

  • 4月24日
  • 読了時間: 6分



「素直」という言葉に、ずっと引っかかりを持ってきました。


子どもの頃から、大人たちに「素直でいなさい」「素直が一番だよ」と言われ続けてきたように思います。


けれども、大人になるほど、この「素直」という言葉の意味がわからなくなっていきました。

何が素直で、何が素直じゃないのか。

素直になるって、具体的にどういうことなのか。


誰かに「はい、わかりました」と言うことでしょうか。


でも、内心では納得していないのに表面だけ従うのは、むしろ不誠実です。

自分の気持ちをそのまま表現することでしょうか。


でも、怒りや不満をそのままぶつけるのは、ただのわがままに近いこともあります。


素直という言葉は、とてもシンプルな響きを持ちながら、実際に生きるうえでは、途方もなく奥深い言葉なのだと思うようになりました。


僕なりに辿り着いた、今の時点での「素直」の輪郭を、今日はお話ししてみます。


これは正解ではなく、僕の現在地です。


また数年後には、違う景色が見えているかもしれません。


僕にとっての素直とは、「自分の内側で起こっていることを、自分で認める」ということです。


たとえば、誰かの成功を聞いたときに、一瞬「羨ましい」「妬ましい」と感じる自分がいたとします。


多くの人は、その感情をすぐに打ち消そうとします。

「いや、私は嫉妬なんてしていない」

「素直に喜ばなきゃ」と。


でも、僕は最近、この打ち消しこそが、不素直の始まりだと感じるようになりました。


本当の素直は、「あ、今、私、ちょっと妬んでるな」と、自分の内側で静かに認めてあげることから始まるのではないかと。


認めた上で、じゃあその感情とどう付き合うかを選ぶ。


打ち消すのか、味わうのか、手放すのか。


それは、認めた後の選択の自由です。

けれども、認めないままでは、選ぶこともできません。


この「内側で起こっていることを、自分で認める」という作業は、想像以上にエネルギーを使います。


なぜなら、私たちの多くは、認めたくない自分の一面を抱えているからです。

弱い自分、汚い自分、情けない自分。


これらを認めることは、最初はとても痛い体験です。

けれども、一度それを認められると、不思議なことに身体が軽くなります。


ずっと隠してきたものを、ようやく日の光に当てたような、解放感のようなものがあります。


日本文化には、昔から「素直さ」を美徳とする伝統があります。


けれども、誤解されやすい部分もあると感じています。


「素直=言われた通りにする」「素直=自分を抑える」という解釈が、時として広まりすぎてきたのかもしれません。


本当の素直は、従順さとは違うと、僕は思っています。

自分の内側の声を、自分で聞き取る力。


そして、それを正直に認める勇気。

そこから初めて、他者の声も本当の意味で聞けるようになる。

自分に不誠実な人が、他者に誠実でいられるはずがないのですから。


なぜ、僕がこんなに「素直」というテーマにこだわるのか。


それは、これから構想している場所が、訪れた人が「自分の素直さ」を取り戻すための空間であってほしいからです。


現代社会は、私たちの素直さを、知らず知らずのうちに奪っていきます。


SNSでは「いいね」をもらうために、本音を少し加工した言葉を投げます。


職場では、空気を読んで、角が立たないように発言を整えます。

家族のあいだでさえ、期待に応えるために、本音を飲み込むことがあります。


それらは、社会を円滑に回すために、ある程度必要なことでもあります。


すべての場面で生の本音をぶつけていたら、人間関係は成り立ちません。


けれども、氣づけば僕たちは、生の自分に戻る時間をほとんど持てなくなってしまった。


そう感じるのです。


だからこそ、場所として、生の自分に戻っていい空間が必要なのだと思っています。


優劣の比較がない場所。

肩書きも役割も置いてきていい場所。


「不一致団結」の場所。


ただ、自分のなかで起こっていることを、ゆっくり感じ直すための場所。


そこでは、無理に素直になる必要もありません。


「素直になろう」と頑張ることもまた、不素直の一種だからです。


ただ、時間をかけて、何もしない時間を過ごしているうちに、自然と自分の内側に触れ直していく。そういう場所でありたいのです。


素直さを取り戻すのに、特別なトレーニングは要りません。


必要なのは、「時間」と「空間」と「許可」です。


・時間

急かされずに過ごせる時間。


・空間

自分を受け入れてくれる空間。


・許可

「今の自分のままでいい」という、自分自身への許可。


この三つが揃ったときに、人は少しずつ、自分本来の素直さを思い出していくのではないか。僕はそう感じています。


とは言っても、僕自身、まだまだ素直になりきれない日々を送っています。


ふとした瞬間に、自分の本音から目を逸らしてしまうこともあります。


完璧な素直さなんて、たぶん一生かけても到達できないでしょう。


でも、それでいいのだと思います。


素直さは到達点ではなく、「方向性」です。


完璧に素直になることではなく、「素直でありたい」と願い続けること。


それ自体が、すでにひとつの素直さなのだと。


この記事を読んでくださっているあなたも、もしかしたら今、何か認めたくない感情を抱えているかもしれません。


誰にも言えない想い、隠している本音。


もしそうなら、どうかその感情を、あなた自身だけでもいいから、認めてあげてください。


「そう感じている自分がいるんだな」と、頭を撫でるように、そっと受け止めてあげる。

それだけで、何かが少し動き始めるかもしれません。


次の記事では、「争いのない世界へ」という、もっと大きなテーマに足を踏み入れてみます。

素直さの話と、どこかで繋がっているテーマです。


個人の素直さが積み重なった先に、本当の平和があるのではないか。


そんな問いを、あなたと一緒に考えてみたいのです。


今日も読んでくださって、ありがとうございます。


どうかあなたの今日が、ほんの少しでも、素直に過ごせる時間でありますように。


そして最後に、素直についての、私の好きな感覚をひとつ。


素直は、「素に直結する」と書きます。


何かを足すのではなく、自分の「素」の部分と、直接つながる。


それが、素直という言葉の本質なのかもしれないな、と。


この気づきが、僕がこれからつくりたい場所「ミロクの郷」にも、繋がっているのです。


Miroku



🌏 同じ地平を見ている方へ


この記事を最後まで読んでくださったあなたは、きっと、今の社会に対して何か違和感を持ち、「本来の在り方」を探している方なのではないかと思います。


Facebookに「ミロクの郷プロジェクト 応援チーム」という小さな場所を作っています。

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もし、あなたも同じ地平を見ている感覚があるなら、どうぞ。


 
 
 

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