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1軒目のミロクの郷、『キセキノ神河』にきた人の感想「なぜか懐かしい」という声の意味

  • 4月24日
  • 読了時間: 6分


ミロクの郷キセキノ神河
ミロクの郷キセキノ神河

兵庫県のほぼ真ん中に、神崎郡神河町(かんざきぐんかみかわちょう)という町があります。

大阪や神戸からは少し距離があるものの、豊かな自然と山里の暮らしが残る、静かで美しい土地です。


この神河町に、「ミロクの郷 キセキノ神河」と名付けた、小さな場所があります。


これが、僕が構想している「素」に還る場所の、最初の一歩となる場所です。


今日は、その場所を訪れた方々の声と、そこで私が感じていることをお話しします。


最初にお断りしておくと、「ミロクの郷」も「キセキノ神河」も、何か特別な宗教的な場所ではありません。


ミロクという言葉は、古くから日本人のあいだで「未来に訪れる平和な時代」を象徴する言葉として親しまれてきました。


僕は、その言葉を、宗教的な意味合いとしてではなく、「誰もが自分らしく、穏やかに生きられる時代」という願いを込めて、場所の名前に使わせてもらっています。


キセキノ神河という名前には、ふたつの意味を込めました。


ひとつは、「軌跡」。


この土地の人々が代々重ねてきた暮らしの跡、営みの道筋。


もうひとつは、「奇跡」。


この土地で、私たちの想像を超えるような出会いや気づきが起こること。


「軌跡」と「奇跡」は、実は地続きの言葉だと思っています。


誰かが丁寧に積み重ねてきた日々の軌跡のうえにこそ、新しい奇跡が生まれてくるのだと。


この場所を訪れた方が、異口同音におっしゃることがあります。


それは、「なぜか懐かしい」という言葉です。


初めて来たはずなのに、どこか懐かしい。


子どもの頃に戻ったような、不思議な感覚がある。


ここに、来たことがあるような氣がする。


こうした感想は、本当に多くの方から頂戴しています。


最初は、偶然かなと思っていました。


たまたま僕のまわりに、田舎育ちの方が多いのかな、と。


けれども、都会育ちの方、海外から来られた方、若い世代の方からも、同じような言葉が聞かれるようになって、これは偶然ではない何かがあるのかもしれないと、考えるようになりました。


僕なりの解釈ですが、この「なぜか懐かしい」という感覚は、個人の記憶を超えた、もっと深いところに由来するのではないかと思っています。


私たち日本人の遺伝子のなかには、何千年ものあいだ、山や田んぼや川と共に生きてきた記憶が、刻まれているのではないか。


便利な都市生活を営むようになってから、まだほんの100年ほどしか経っていません。


その前の長い歴史のなかで、私たちのご先祖さまは、自然のリズムに寄り添って暮らしてきたのです。


その記憶が、身体のどこかに眠っている。


そして、自然豊かな場所に身を置いたとき、その記憶が呼び覚まされる。


それが、「なぜか懐かしい」という感覚の正体ではないかと、僕は感じています。


もちろん、これも科学的に証明された話ではありません。

あくまで、僕の感覚的な仮説です。


けれども、多くの方が共通してそう感じる以上、何らかの実在性はあるのだと思うのです。


キセキノ神河で、訪れた方々が過ごす時間は、とてもシンプルです。


特別なプログラムも、パワフルな体験装置も、何もありません。


ただ、周りを山に囲まれ、せせらぎの音を聞きながら、風の音と鳥の声が聞こえる場所で、自分のために時間を過ごす。


それだけです。


それなのに、帰り際には、多くの方が表情を変えて帰っていかれます。


来た時よりも、目が少し柔らかくなっている。


肩の力が抜けている。声のトーンが穏やかになっている。


そうした微細な変化を、何度も目にしてきました。


ある50代の男性は、こう話してくださいました。


「仕事で疲れていて、半ば無理矢理連れてこられたんだけど、ここにいるうちに、子どもの頃、祖父の田んぼで遊んだ夏休みを思い出した。


もう、こんな感覚、何十年も味わってなかった」と。


ある30代の女性は、「私、ずっと都会で育ったから、こういう場所とは無縁だと思っていた。でも、なぜか涙が出てきて、自分でも驚いている」と。


こうした声を聞くたびに、私は「ああ、この場所をつくってよかった」と思います。


と同時に、「まだまだ、できることがある」とも感じます。


現在のキセキノ神河は、本当にささやかな場所です。


「1件目のミロクの郷」と書いたのは、これが始まりに過ぎないからです。


僕は、この場所を訪れた人が「なぜか懐かしい」と感じられる場所を、日本人の雛形にしたい願っています。


そのための次の一歩として、私はクラウドファンディングという形で、多くの方の力をお借りしようとしています。

場所をつくるには、ひとりの力では限界があります。


共感してくださる方が、少しずつ力を寄せ合うことで、もっと多くの人が「素」に還れる場所が、この国に広がっていく。


そんなイメージで、準備を進めています。


けれども、焦ってはいません。


場所というのは、急いでつくるものではないと、僕は思っています。

時間をかけて、丁寧に、一つひとつの素材を選び、一つひとつの風景を整え、そこに訪れる人の顔を想像しながら、組み上げていく。


その過程そのものが、場所の「氣」を育てていくのだと。


キセキノ神河にいらした方には、ぜひ、何もしない時間を楽しんでもらいたいと思っています。

スマホを置いて、腕時計を外して、ただ、そこに座ってみてください。


最初は、落ち着かないかもしれません。


何かしなくては、と身体がソワソワするかもしれません。


けれども、10分、20分と過ごすうちに、不思議と静けさが自分の中に戻ってきます。


その静けさのなかで、あなたもきっと、何か懐かしいものと再会するはずです。


それが具体的に何なのかは、人によって違います。


子どもの頃の記憶かもしれないし、忘れていた夢かもしれないし、名前のつかない感覚かもしれない。


大切なのは、その出会いを、急がないこと。


評価しないこと。


ただ、来たものをそのまま受け取ってみること。


この記事を読んで、「訪れてみたい」と感じてくださる方がいらっしゃったら、本当に嬉しいです。


ただし、キセキノ神河は、まだまだ発展途上の場所です。


派手な施設もなければ、洗練されたサービスもありません。


ただ、場所の力と、そこに込められた想いだけがある、素朴な場所です。


そうした場所に惹かれてくださる方こそ、きっと「なぜか懐かしい」と感じてくださる方だと思います。


次の記事では、この場所を包む壁の話、「ゼロに還る漆喰壁、幻の漆喰」についてお話しします。


どんな素材で、どんな想いでその壁を選んだのか。壁ひとつにも、込めた物語があるのです。

今日もここまで読んでくださって、ありがとうございます。


あなたのなかにも、「なぜか懐かしい」と感じる場所が、きっとどこかにあるはずです。


Miroku


🌏 同じ地平を見ている方へ


この記事を最後まで読んでくださったあなたは、きっと、今の社会に対して何か違和感を持ち、「本来の在り方」を探している方なのではないかと思います。


Facebookに「ミロクの郷プロジェクト 応援チーム」という小さな場所を作っています。

ここでは、表には書きづらい想い、本質的な対話、そしてこれから起こることへの予感を、仲間たちと分かち合っています。


何かに依存する未来じゃなくて、自分たちで未来はつくれますよね。





 
 
 

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