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迦微(かみ)は、目に見えないほど小さな命だった。|微生物の神さまと、ミロクの郷のお米

9 時間前
読了時間: 7分
ミロクの郷の田んぼで黄金色に実った稲穂
ミロクの郷の田んぼで実った稲穂

迦微(かみ)は、目に見えないほど小さな命だった。

朝の田んぼに、そっと素足を入れる。


ひやりとした泥が、足の指のあいだを通っていく。

土の匂い。水の匂い。草の匂い。

その一瞬、からだの奥の何かが「ああ、帰ってきた」と言うのがわかります。


今日は、そんな感覚の正体についてお話ししたいと思います。

それは、僕たちの足元に、手のひらに、からだの内側に、ずっと居てくださった「目に見えない神さま」のお話です。


古事記は、古代の日本人の「感じ方」の記録

古事記には、古代の日本人が大切にしていた判断の基準が、神々の物語として描かれています。


その中には、少名彦名神(すくなひこなのかみ)のように、とても小さな体で国づくりを助けた神さまも登場します。

僕はこの神さまに、微生物やウイルスのような「小さきものの働き」を感じずにはいられません。


江戸時代の中頃、生涯を古事記の研究に捧げ、『古事記伝』を著した本居宣長先生は、「かみ(迦微)」についてこう書き残しています。


凡て迦微とは、古御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其与何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云なり。


すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの、奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。


——本居宣長『古事記伝』


神話の神々も、神社に祀られる御霊も、人も、鳥や獣も、木や草も、海や山も。

何であれ、ふつうではない力を持ち、おそれ多いと感じるものを、昔の人は「かみ」と呼んだ。

しかもそれは、善いものだけではない。不思議なもの、ときに人を苦しめるものでさえ、その力が並外れていれば「かみ」だったのです。

(現代語訳の参考:出雲大社紫野教会「ことば」)


善悪で分けない。

ただ、その存在の大きさに、頭を垂れる。


僕はここに、日本人のいちばん深いやさしさがあると感じています。


最初に芽吹いた神さま ―― 宇摩志阿斯訶備比古遅神

古事記の冒頭には、世界のはじまりと、最初に現れた五柱の別天神(ことあまつかみ)が記されています。


高天原に最初にお成りになったのは、

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。

そして、結びの力をもつ二柱の産霊(むすひ)の神、

高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と神産巣日神(かみむすひのかみ)。


その次にお生まれになったのが、

宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)です。


「あしかび」とは、葦の芽のこと。

まだ国がやわらかく、水に浮かぶ脂のように漂っていたころ、

湿った泥の中から、葦の芽がぐんっと萌え出るように生まれた神さまです。


僕はこの名前を声に出すたびに、ある響きに気づきます。


かび ―― 黴(カビ)。

かみ ―― 迦微。


「微」という字は、かすか、目に見えないほど小さい、という意味です。

かすかで、目に見えない、けれど確かに在る命。

湿った田に葦の芽が噴き出すように、目に見えない小さな命が、いっせいに芽吹いた瞬間。


古事記は、まさに微生物(かみ)の誕生を語っていたのではないか。

僕には、そう思えてならないのです。


「微生物」を「かみ」と読み替えてみる

ここから先の文章は、「微生物」を「かみ」と読み替えながら、ゆっくり味わってみてください。


地球に最初に生まれた命は、微生物(かみ)だと言われています。

そして、微生物(かみ)の働きがあったからこそ、今の地球があるとも言われます。


いちばん最初からこの星に棲み、今もずっと棲みつづけている。

微生物(かみ)は、いわば地球の主です。


空気の中にも、川にも、湖や沼にも。

水田にも、畑にも、海にも。

動物や植物のからだの中にも。

熱い温泉の中にも、冷たい雪の中にさえ、微生物(かみ)は暮らしています。


森羅万象、すべてに神が宿る。

八百万の神々とは、昔話ではなく、そのままの事実だったのかもしれません。


僕たちのからだは、神さまの棲み家

僕たちの免疫は、微生物(かみ)から情報を受け取りながら育っていきます。


人が生まれる、あの神秘の瞬間にも、微生物(かみ)は働いています。

お母さんのお腹の中で、ほとんど無菌の状態で育った赤ちゃんは、産道を通るとき、お母さんの微生物(かみ)を受け取ります。

まだ免疫が整っていない小さな命を、お母さんから受け継いだ神さまたちが守ってくれるのです。


命は、神さまと一緒に手渡されていく。


皮膚にも、口の中にも、鼻の中にも、微生物(かみ)は棲んでいます。

からだの入口となる粘膜には、常在菌が住みつき、外からのものに対して門番のように守ってくれています。


口から腸、そして出口まで。

僕たちのからだは、じつは一本の管が通っている形をしています。

「からだの内側」と思っている腸の中も、外の世界とつながっている場所。

そして皮膚は、全身を包む一枚の衣です。


その内と外に、微生物(かみ)が満ちています。


微生物(かみ)は、およそ40億年という途方もない時間をかけて、この星の環境を整え、

僕たち人(ひと)が現れるのを、静かに待っていてくれました。


腸を棲み家にした微生物(かみ)の数は、僕たち自身の細胞の数と同じくらいだと言われます。

さらに、僕たちの細胞の中にあるミトコンドリアは、遠い昔には独立した細菌だったと考えられています。


つまり僕たちは、すべての細胞に、かみを宿して生きているのです。


ひと ―― 「霊(ひ)が止まる」ところ。

その「ひ」は、こんなにも小さく、こんなにもたくさんの神さまたちだったのかもしれません。


神さまから、離れてしまった僕たち

けれど、いつの頃からか、僕たちは自然から遠く離れてしまいました。


徹底的に殺菌された食べもの、殺菌された水。

裸足で走りまわることもなく、

川で遊ぶことも、草むらに寝転がって空を見ることもなくなりました。


土の微生物(かみ)から離れ、

水の微生物(かみ)から離れ、

食の微生物(かみ)から離れ。


恵みのかたまりである自分のからだの中からも、神さまたちを追い出してしまった。


からだの中の微生物(かみ)のバランスが崩れると、

免疫が行きすぎた反応を起こし、自分自身を傷つけてしまうことがある。

アレルギーや喘息が増えてきた背景には、そんな「神さまとの断絶」もあるのではないかと、多くの研究者が指摘しています。


清潔であることは、大切です。

でも、「きれい」を追い求めるあまり、命をつないでくれていた存在まで遠ざけてしまったのだとしたら。


僕たちは今、もう一度、思い出す時を迎えているのだと思います。


ミロクの郷のお米は、神さまと神さまが出会って生まれる

だから、ミロクの郷では、お米づくりを大切にしています。


田んぼの土には、数えきれないほどの微生物(かみ)が暮らしています。

そして僕たちの手のひらにも、ひとりひとり違う常在菌(かみ)が棲んでいます。


みんなで泥に手を入れ、苗を植える。

草を取り、稲に触れ、穂を刈る。


そのたびに、手のひらの神さまと、大地の神さまが交わっていく。


そうして実ったお米は、ただの食べものではありません。

僕たちと、この土地と、目に見えない八百万の神々が、一緒に結んだ「むすひ」の結晶です。


産霊(むすひ)の神が、天地のはじまりに命を結んだように。

僕たちも、田んぼの中で、神さまと命を結び直している。


炊きたてのお米を口に運ぶとき、

そのひと粒ひと粒に、土の匂いと、水の冷たさと、仲間の手のぬくもりが溶けています。

そしてそれが、また僕たちのからだの中の神さまたちを養っていく。


いただきますとは、きっと、そういうことなのです。


今こそ、微生物の神さまと向き合う時

見えないから、無いのではない。

小さいから、弱いのではない。


目に見えないほどかすかな存在が、40億年この星を守り、

今この瞬間も、僕のからだを、あなたのからだを、生かしてくれています。


本居宣長先生の言葉のとおり、

並外れた力をもち、おそれ多いものを「かみ」と呼ぶのなら。

微生物こそ、まぎれもなく神です。


足の裏で土を感じる。

手で水に触れる。

草の上に寝転んで、風の匂いを胸いっぱいに吸いこむ。


それだけで、僕たちの内側の神さまと、外側の神さまが、もう一度つながりはじめます。


今こそ、微生物の神と向き合い、地球と共に生きる時代。

大自然の英知と共に、自然の中で生きる時代が、訪れています。


ミロクの郷の田んぼで、あなたの手のひらの神さまと、大地の神さまが出会う日を、

僕は心から楽しみにしています。


ミロク


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